10月31日(月)決算特別委員会日
ですが、やはり動けず。とは言うものの、午後から議会事務局へ。
家から車椅子で、エレベータを降りてみたのは良いけれども、車椅子を一人で自動車に積み込む方が、はるかに難しいと分かりました。
議会の車椅子を用意しておいてくださいとお願いしましたが、実は46cm幅もありましたが、用意されていたのは、幅40cmの手押し専用で、自走できないタイプ。あちこちから複数の方が、応援してくださるほど、かえって怖いことにも気がつきました。
1Fのトイレの幅も、車椅子では、かなり狭いことが分かります。やはり2Fの多目的トイレが一番現実的かなと思いました。
なにせ車椅子で出席は、かなり骨が折れそうだと分かりましたが、そもそも自家用車を運転して行くべきかが問題でした。しかし、なんとかなればそうするというより、車椅子に乗らなくて良いだけの話です。
【馬場俊英について】
好きな歌手には、必ず馬場俊英をあげ、【佐藤真治のこころ】にも、しばしば取り上げ、「四方山話」で、フォルダまで作っているのが、馬場俊英です。
2007年(平成19年)当時、再チャレンジの星ということで、年末のNHK紅白歌合戦に出る歌手がいるというレベルではなんとなく知っている知っているぐらいのことでしした。むしろ、その後、ラジオで、『君はレースの途中のランナー』が流れてきて、これ誰?なんと我々の世代に訴える歌詞を歌う歌手がいるもんだなぁと関心したのが、最初です。
したがって、最初から『スタートライン』ではなく、少しずつ、ネット動画で聞いた曲が、ことごとく当たるという感じで、たまたま岡山市民会館で、コンサートがあるということで、当日券を買い、初めてライブを聞きました。2階には、まだまだ空席がありま
したが、既にお馴染みの曲ばかりで、楽しめました。
それからは、車の中のBGMは、馬場俊英一色になり、わざわざ近県で開かれるライブに、半年に一度は、まるで半年間頑張ってきた証の一里塚のように行きました。野音でピースではなく、初の大阪城ホールの1万人でピースには、当然いきました。
闘病からは、岡山のさん太ホールには行きましたが、岡山でのオールスタンディングの会場は、顔はさすは、疲れるだろうで、行きません。遠くでのライブには、もちろん行けません。最近では、CDを聞くことすら珍しくなりました。
ライブは体力的な事情があるものの、それ以上にBGMでも聞かなくなったのには、理由があると思います。
ひとつには、多くのファンがそうであるように、混迷の中、『キャンディー工場』の転換に若干ついていけなくなったこと。
さらに、歌詞の中の「僕」が、いつのまにやら共通の僕ではなく、カリスマか宗教家みたいな「僕」になり、例えば、『弱い虫』の僕って誰?と共感を呼びにくくなったこと。
なによりも、私の目の前の現実が、『スタートライン』で泣いて立ち上がるようなレベルを超えてしまったことがあります。『最後まで』と言われてもなぁ・・・。
それでも、やはり、馬場俊英の歌は、好きです。『キャンディー』以降でも、『ラーメンの歌』『ギザ10』『風になれ』『ドリームスニーカー』。
『センチメンタルシティマラソン』『ラクロス』というアップテンポの曲は、私の中では、ずっと力が出ますし、『いつか君に追い風が』やや、『君はレースの途中のランナー』『君の中の少年』は、完全につぼにはまります。
以前は、ここぞという場面では、『スタートライン』を泣くために聞いていましたが、歌詞のように、新たなスタートラインをひいても、チャンスは何度も来そうになく、限界超えた感で苦しくなります。
実は、ファンがそれを望んでいるのか怪しいのですが、いわゆるヒット曲には、その後、恵まれていません。信者のようなファンや新しい層には、満足感があっても、五十路からの世代が求めている曲は、なかなかに難しいかもしれません。
いろんなニーズには応えたい。自分のやりたい楽曲もある。だからこそ、自分自身と同様に、彼がもがいている中から、なにか新しいものが生まれてくるんじゃないか。だから距離を置いて見ているファンも多いかもしれません。アレンジや表現がどうあれ、救済の曲ではなく、自分の中の力を呼び覚ますための曲。
実は、待っているのです。本当は誰かの作る曲よりも、再生できる自分自身の力を。