10月27日(金)

【末藤守先生】

 

1999年初当然組みというと、11人いるのです(?)が、後に、姫井元参議院議員と池田衆議院議員の2人が、国会議員になりました。

途中、蓮岡議員が補選で入ってきて、学年も期数も、唯一同じ議員になりました。

 

その中で、特に大好きなのが、末藤先生でした。

当初、議員の感覚というのに、ともかく慣れず、例えば、飲食でのお金の使い方や何から物を見たときの発言とか対応というのが、あまりにもずれてしまうため、議員の感性とは、こういうものなのか?と疎外感を覚えていました。

ただ、そういうとき、末藤先生を振り返ると、いつもは、穏やかなのに、少し冷めた表情でおられたように思います。

お金や人間関係や時間について、ちょっともったいないなぁということをいつも感じておられたように思います。

 

奥様と喫茶店から、ピアノを打って回られて、山陽こだま楽器を立ち上げられた話。本当に、10円、20円の価値をしっかりと感じられ、強い者に媚びられるよりも、自分より弱い立場の方には、浪花節で、とことん応援していく。

 

TV県政討論会に、ご一緒させて頂いたことがありますが、かって発言等で、後塵を拝した記憶がなかったのに、末藤先生とは、圧倒的な人間力の格差を感じ、絶対に勝てないと思いました。

おそらく、体験は、理屈を超えるため、机上で議論しようとする執行部は、理屈を超えて心情的には理解してしまうために、非常にやりにくい議員だったと思います。

 

年に一度のことではありますが、議員の派閥で、ふぐを食べる会がありますが、ふぐというだけで抵抗を感じ、メロンみたいに、かかってこんかいという気持ちになるのですが、なにか根っこの部分で、そういうところから理解し合えるような庶民派の優しい議員で、末藤先生が大好きでした。

ただ、体調を崩され、引退されました。病気でも、絶対に議員を辞めてはいけないと今も仰って頂いています。それを励みに責任にも感じています。

 

 

一方、蓮岡議員は、やはり、同期ですが、補選で途中から、倉敷市議会から移って来ました。

最初に会ったのは、母が児島出身で、同級生の従兄弟の結婚式で、まだ20歳代でしたで彼が市議会議員のとき。今日とは、かなり体型が違っていました。隣の議席になったときにいは、かなり巨大化していました。故栗山元議長は、引退されるまで、彼と私の区別がついていませんでした。今なら、判ってもらえると思います。

 

なにしろ穏やかな人で、いるのを見ただけでほっとします。この業界、損をすることも多いだろうになぁ・・。

お調子こいて、二人で行った香港(なぜか旅先で偶然、末藤先生に出会う)のような愉快なことは、十分健康に留意して、末永く頑張って欲しいです。

 

議会のルールなどさておき、私にもしものことがあったら、本会議の追悼の言葉は、彼に述べて欲しいです。というか、それ以外をとやかく言う議員、人間がいるなら、覚悟してください。