10月25日(火)

【秘書気質 8】

 

そうこうして、皆様もお力で、なんとか初当選させて頂き、当選の翌日までには、選挙区のみならず、第2選挙区まで、自民党の先輩議員には、挨拶に回らさせて頂きました。まさに、先輩方の胸を借りて戦わせて頂き、しかし議会では、右も左も分からぬ者が、最初にお世話になるのは、先輩議員です。なにしろ議員元秘書が、いきなり末端を汚させて頂くのですから、当然という感覚でした。

 

ところで、多くのご支援頂いた方が最初に戸惑われたのは、私をどう呼ぶかということではなかったかと思います。

現在もそうですが、もともと「しんちゃん」と呼んでくださっていたため、昨日までの「しんちゃん」をいきなり先生とは、呼びにくく、なにより、私も求めてもいないし、「議員」という大臣や代議士のような呼称は、一般的でなく、「しんちゃん先生」と呼んでくださる御配慮の方もいらっしゃいました。しかし、やはり、「しんちゃん」が、双方に落ち着く感じです。

一方で、もともと「しんじ」と呼び捨てにされていた方は、もちろん、ずっと呼び捨てで、秘書上がりは、所詮は、秘書上がりで、絶対服従めいた厳しさがありました。

 

ともあれ、秘書上がりにしてみれば、挨拶や会議のときの席順や長幼の序などは、遵守すべき絶対事項で、そこは、少なくとも、私が1期生のときは、党内のムードではありました。自民党控え室の奥のほうの重鎮の席など行ったこともありませんでした。

特に、当時は、議場への出入りで、黙礼する風習というのは、なかったのですが、空気にでも挨拶するという畏怖の念から、私が始めたものです。今はしない議員の方が少なくなりましたが、当時は、それだけの威厳があった自民党や議会の雰囲気は、今よりも好きです。

やはり、年齢がどうあれ、期数を越えてタメ口を利いたり、あるいは、1期生が、議員総会の場で、自由に発言したりというのは、風通しをよくするという議会改革とは別の部分で、むしろ、雰囲気を軽いものに変えているような気がします。逆に、なぁなぁにしてしまうということもあるもので、体育会系の秘書上がり的には、組織的には締めて欲しいと実は、思っています。

 

 

議会は、議会ですが、問題の解散総選挙は、初当選の翌年の夏にやって来ました。

議会開催と岡山青年会議所の前期会員のイベント時期ともろかぶりになりました。

このとき、本当に多くの方から言われたのが、「恩返し」。当選させて貰ったのだから、身を粉にして働けということでした。それは、当然そうするのが当たり前と思われた方も、おられるでしょうし、そうすることが、私自身の身を守るためだと思ってくださる方もおられたと思います。

 

ただ、朝来たら、佐藤はいないのか。昼行けば、票固めに歩けと言われ、夜は夜で、「おえ~しんじ~。自分の選挙以上にやれ!」と怒られ、秘書上がりの議員は、スタッフそのものでした。

辛かったのは、議会なんか放っておいて、事務所に詰めるのが当たり前だという雰囲気があったり、夜に、こそこそ岡山青年会議所の前期会員の最も重要なイベントの会議に行こうにも、ろくろく出られなかったこと。

 

特に、前年秋に結婚した妻も、議員になってからの妻なのに、完全な裏方スタッフに組み込まれていたこと。基本的には、そういうことになっていました。

妻は、当時妊娠4ヶ月でしたが、1ヶ月選挙事務所に詰めました。

ただ、それを秘密にしていたのは、「お祝いが欲しいのかと思われるから言うな」と言われたからです。

 

浮動票に近かった一宮高校関係など、私が頂戴した票を取りまとめられる力もなく、恩返しが、全くできなかった総選挙。

秘書時代の方が、はるかに楽でした。

それでも、秘書上がりの議員として、あるいは、直系1号議員として、20年先には、私が、総選挙の陣頭指揮に立てるだけの力をつけなくてはいけないとそう思っていました。