10月21日(金)

「秘書気質 その6」

 

 

政令指定都市なる前の秘書時代、少なくとも20年前までは、岡山県議会議員は、正直こわかったです。なぜか、皆さん、ことごとく運転手月付の黒塗りの車に乗っておられ、むしろ国会議員より偉そうですらありました。

私の担当学区には、県議の事務所はありませんでしたが、会場への送り迎えや用事で届け物に行っても、愛想をしてくださるのは、森先生ぐらいでした。

市に対しても、予算の権限も強く持っており、時代も時代だったので、中選挙区からの流れも強く残り、市議会議員の先生とも、系列化されているようでした。特に、歴史に名だたる国会議員の先生の秘書上がりが多く、国政とのパイプも強くあったのだと思います。

 

とは言うものの、私の当時の担当学区で、2時間ほど立たされたのは一人だけで、そんなに難しい先生は、おられませんでした。

特に、ミニ集会では、市政報告をお願いしたりして、連絡したりしていたので、ありゃ生意気な奴じゃという風評も立っていなかったと思います。

 

必ずしも適切なたとえではありませんが、縄張り争いの側面は、否めません。その間をまさにチンピラが調整に回るのですから、それは、なかなか難しいものがあります。

 

ただひとつ正義があるとすれば、開催総選挙になったら、どの先生も奥田に気持ちよく駆けつけてくださるということで、それが、秘書の、あるいは、秘書上がりの正義です。

 

 

当時は、大御所の県議の先生が黙っていても、選対本部長になる仕組みでした。ただ、20年もすれば、私自身が、選挙事務所を事実上、仕切らなくてはいけないし、それはできることとも感じていました。

ただ、いったい何回選挙があることやら・・・。