10月14日(金)

なかなかにきつい一日でした。心配事も、気になるままに、県庁には行ったものの結局、病院へ。明日から、静養とういうわけでもないのですが、手術時以来の入院となりました。

 

【秘書気質 その2】

 

時々行き詰った感じの時には、Kさんのところに行きました。「佐藤さん、甘いわ。新聞配りなさい。」以外にはないのですが、その答えで、十分でした。

 

そういえば、平成5年(1993年)に事務所に入ったときは、自民党は野党でした。宮沢内閣は、8月の衆議院選挙でいわゆる8党派連立の新党ブームの前に、惨敗し、しかし、そこからもうわけがわからない流れで、翌年6月、自社さきがけの連立政権で、政権に復帰しました。

 

そして、平成7年(1995年)全てが大きく動き始めました。著名な脚本家である小山内美江子さん経由で、AMDAからの協力依頼が入りました。

深夜0時に出発する救援物資を積んだシンデレラエクスプレス第1便で、長田区に向かいました。途中まで、私が、トラックを運転しましたが、かえって危険なので、やめました。現地では、岡山JCの方々にもお会いしました。

前年に、倉敷チボリ公園で、第1回国際貢献NGOサミットが開催された直後で、岡山のNGOも、一挙に盛り上がりました。しかし、その後、オウムの事件があり、市民活動、NPOは、停滞を余儀なくされましたが、私自身も、NGO,NPO支援を行いたい、岡山を国際貢献都市にすると、いう夢も広がった記念すべき年です。

 

もっとも、ここからいろんなことがあり、その後、たまたま代議士付きで運転していた月曜日に、AMDAに立ち寄ったら、イラン地震の話になり、正式な外交があるとはいえませんが、菅波先生と森暢子先生のご提案で、当時外務委員長の代理として、AMDAのコーディネータとして、緊急救援のため、私も、イランに向かうことになりました。

夜行に乗って、翌朝には、イラン大使館前。出国まで、時間がかかりましたが、アフガニスタン国境近くまで、前代未聞のイラン出張。テヘランは、本当に美しい都でしたが、笑えない思い出が多くあります。

やはり、真剣にやった結果、笑えるエピソードが大切です。

 

ただ、私は、もっといろんなことをしでかしています。

イラン出張前には、スリランカの内戦の被害にあった子どもたちに、古靴を届けるという企画を立て、実は、国内線にも乗ったことがないものが、生まれて初めて、飛行機に乗り、しかも、関空-バンコクからスリランカへ。おまけに内地は、砂浜で、明らかに裸足が気持ち良いという事実。

また、その後、沖縄平和ツアーに行くということで、反戦地主に会い、ガマに入ったり、なにしろ、ガイドさんが、運動家そのものという。

いずれも、5日は、行ったと思うのですが、どう考えても、休みが頂けたなぁという以上に、旅費を出して頂きました。これは、全く期待していたものではなかったのですが、政経塾の理念なのだったのか、いまだに、ありがたいやら不思議です。

 

思えば、それ以上に、自動車をどこまで、ボコボコにしたか、腹をえぐり、後ろを電信柱に思い切りぶつけたか、個人教習のM先生に、申し訳が立ちません。ただ、最初の2週間は、緊張で、便秘になりました。なんかあったら、うちの家族は、終わりじゃなぁと。

あげく、盗難事件というのがありましたが、これは、笑える話ではありません。

 

それでも、関係する会合の来賓挨拶のご案内にメモを挟み、その会の趣旨はなんで、ポイントになる言葉で、何に誰に一番敬意を払うべきか、きっちり成果を出して頂こうとも思っていました。そのあたり、今、どこの事務所もできておらず、通り一遍等の自己アピールのような御挨拶が、増えている気がします。これは、秘書の手抜きです。

と思うぐらいに、真面目でした。

 

考えてみると、ハイリスクローリターンの私を本当に良くかわいがって頂いたと思います。どこの地元秘書に聞いても、こんなエピソードの宝庫ではないでしょう。