10月13日(木)

良いことは小刻みに、悪いことは、いっぺんにやってくるというのは、人生のつたない体験からの経験則です。

本当は、日常的に起きているささやかに良いことにひとは気がつかず、悪いことの印象だけ残します。家族みんなで、夕ご飯が、明日への何の心配もなく食べられる。それは、当たり前のことでなく、本当に大きな幸せです。幸せも、いっぺんに来ていることもあります。

いっぺんにやってくる悪いことも、まともに全部受けてしまっては、ひっくり返ってしまいます。時には、時間を稼いでも良い。時には、逃げてしまっても良い。しかし、必ず嵐は通り抜けていくことを信じていたいです。

 

【秘書気質】

 

文字通り、後援会事務所に転がり込んだ私ですが、最初驚いたのは、初めて大型のミッション車を運転して岡山国際ホテルまで送っていったX’masパーティでした。まさに、俗に言うセレブの集まりで、おそらく30歳代のなんかの人が、奥さんやお子さんがバリバリにお洒落をして、皆、高級車に乗り込んでいくのでした。

今となっては、それが、岡山青年会議所のX’mas家族例会だったというのがわかるのですが、その後も、そもそもホテルの宴会場などに出入りすることはなかっただけに、なんと華やかな世界があるもんだなぁと思いました。

もちろん、私は、写真撮影にお邪魔するだけですが、一般の方が、そんなにしょっちゅうホテルの宴会場に行くことはない気がします。

 

逆に、いわゆる血気盛んな当時の青年部の皆さんは、私には、恐怖の対象でした。

 

また、やむなく会葬の代理出席というのもあるのですが、まったく知らない人に、ご焼香をあげるというのも、最初は、戸惑いました。

 

 

ただ、20歳代当時の私は、なにしろすれていませんし、比較的素直で、こだわりもなく、体力もあったので、特に休みは欲しがらず、指示された会合以外も、どんどん顔を出し、ご高齢者受けする愛嬌があって、わりとかわいらしく、しかも、後ろ盾もないということで、使いやすかったと思います。なにしろ独身ですから、就労時間という意識もありませんでした。

 

フリーマーケットは、もちろんですが、担当学区を頂いた後は、けっこうコマめにまわり、ミニ集会や婦人後援会の設立など、相当数行いましたし、時間があったら、夜や昼に、表町や奉還町や駅前町に、ビラを配ってまわったりしました。また、新規開拓ではありませんが、NPOや市職労主催の市民の集いまでお連れしたこともあります。

 

そういうことが許されたのも、当時は、個性的な先輩秘書が多くいらっしゃったことが大きく、それぞれに得意分野があり、ほとんどノウハウというのを教えて頂いたわけではないのですが、自分で自由に結果を出せば良いという気風があり、ありがたかったです。

なにより、未来が広がっているような勢いがありました。

 

 

しかし、一番大きかったのは、やはり、岡山リビング新聞社での経験だと思います。

単純に、広告代理業として、唯一の商品の価値を上げ、より高く売る、という発想です。

そのために、企画を立てるのです。

 

今の秘書の後輩たちの姿を見ると、本当に気の毒になります。どの事務所も、スタッフの数が減っていますから、あくまで代理というのをこなすのが精一杯に見えます。また、地域をぐるぐる回るよりは、特定の方にご依頼が集中したり、後援会組織が、事務所の下部組織になるような指示の仕方になりかねません。あくまで、秘書は、ラインです。

少なくとも、本来は、なにか丸投げにしてしまうようなことはありませんでしたし、後援会のコアな方と同じテーブルに座らさせて頂くこと自体に、恐縮しました。

ただ、代理として振舞うだけなら、秘書の仕事の面白さも,辛さも半分かな。特に、政治資金パーティの企画だけなら、かえってジリ貧になってしまいそう・・・