10月11日(火)祝!横浜ベイスターズCS1st突破!!

横浜ベイスターズが、やらかしてしまいました。
12球団最後に。クライマックスシリーズに出場して、シリーズ2位の讀賣を倒してしまいました!!
ありがとう、あとは、ファイナルで、空気を読んで、接戦までは良いですが、広島東洋にまで勝ってしまわないことです。日本シリーズは、来年シーズンで堂々の1位になって進んでほしい、それはできることだ、そう考えてしまうのが、横浜ファンなのです。

それにしても、残念なのは、讀賣が、坂本以外、いまだに、阿部や村田や長野や内海の30歳代の選手の名前が、前面に出てくること。層の厚さで勝ってはいますが、田口以外の若手の台頭がないのに、やはり、今年は、シリーズに進むべきではなかったと思います。

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【つきあいの悪さ】

この2年半は、よほど大義がなければ、夜の会合は一切お断りしてきました。飲酒も、2年前の元旦に強要された日本酒以外、飲んでいません。
とはいうものの、それ以前から、会合に出ても、まず2次会に参加しませんでしたし、そもそも飲酒をしていませんでした。
この二次会に行かないというのは、つきあいが悪いという評価の原因の一つです。

早稲田大学グリークラブの北軽井沢合宿で、思いきり潰されで、いっぺんに酒が嫌いになったというのはあります。なにしろ、一気飲みの時代。明らかな運動部体質で、それは馴染まない方が悪いのですが、一切馴染むことなく迎えた打ち上げ。そこら中に、ビール瓶や一升瓶と人間が転がる中、目覚めた朝か昼かは最悪で、ついでに体中、思い切り、マジックで落書きされていて、もう二度と酒は飲まないと誓いました。
特に、柿の酢えたような臭いのする悪い日本酒との出会いは最悪で、日本酒がダメになりました。ただ当時は、軟派な酎ハイなんとかサワーが流行りだした時期で、なんの問題もありませんでした。

ただ、実は、原体験として、子どもの頃、今から思うと父は30歳代で、元気がよかったこともあるでしようが、酒を飲んで帰ってきては・・ということもあり、そもそもお酒に対する抵抗ができてしまっていました。自分の中でも、限界を超えた場合は、多分、私自身、性質が悪いんだろうなという意識はあります。

もっとも、一番大きいのは、やはり、中学生から、昼夜保育園で、母親の深夜の仕事の上りを待つ子ども達の姿を見てきたことです。明日の朝、多分普通に起きて、朝ごはんを食べるでない実態を感じていました。

それらは、二次会やはしごがなければ、あまり起きない気がします。

また、初当選時の独身の時は、平和町に住んでいましたので、とにかく夜のお誘いが多く、ほとんどが、9時以降に「あんたの家の近所で飲みょうるから、ちょっと顔を出されぇ!」という電話でした。
岡山で、平和町の近所以外のどこで飲むのか?そもそも、こちらにとっては、もろ地元です。あっちは行って、こっちは行かないということもできず、犬じゃあるまいし、あいつは呼んだらすぐ来る などというのは、大嫌いなため、夜9時以降のその種の電話には、一切出ませんでした。
安定して、誰からも、誘いは来なくなりました。
突然電話をかけて、わしが呼んだのに、あいつだきゃ来りゃぁせんがなと怒る方が、自分以上にこちらを大切に考えてくれていることは、まずありません。

ちなみに、日米政治指導者交流プログラムで、アメリカの地方議員を磨屋町の星乃家に、「焼き鳥で世界を語ろう」というタイトルで、お招きしたとき、かの国の議員に聞きました。「あんたのとこも、やっぱり夜のお付き合いで、毎晩いろんな会合に顔を出して、たいへんなんやろ?」「お前、何わけのわからんこと言うてんねん?そんなこと続けたら、あいつは、家庭を大切にせえへん奴ちゃ言われて、選挙やこ、落選やがな。」

ある初当選議員が、馬耳東風に、毎晩のように、物珍しさで夜の街に呼び出され、昼は、ゴルフに熱中し、下世話な噂が飛び交い、次の選挙に出ようにも出られませんでした。

ラウンジと呼ばれるような店に、二次会に誘っていただいて、知っている人はいないか、まず周囲を警戒。とりあえず水割り~。となったあと、女性に「あ、こいつ知ってる?」と紹介されて、「あ、私は、通りすがりの乳首星人です。地球人の乳首の調査に来ました。」とか言いたいのですが、「あ、そういえば、なんか見たことある~(←私が、そんなに有名とは思えない。)」とかなって、「〇ちゃん、どこに住んでるの~。」「あ、〇〇のあたりです。」「わ、選挙区じゃろう、おめぇ、名刺渡しとけ。」という会話で、テンションさげさげ。
もっと早いのが、「あ、〇〇さん、久しぶり~。」店中に、「あ、ママ紹介しとくは~。こいつ、県議会議員の佐藤~。お、名刺出しとけ。」ということで、入場即テンション下げ下げ。 そのママが、「あ、そう言えば、こないだこの人、来たよ。」と名刺を出され(多分、私のも、このように出されるんだろうな)、そこに同業他者議員の写真。議員によっては、もうどっちらけのけ。そういう議員が、〇〇ちゃんと呼ばれていたら、「あ、俺も、真ちゃんと呼ばれるんだろうな。」とすごく嬉しくありません。
しかし、そういう場は、他の人も、盛り上がりたいので、「おい、真ちゃん!(←あんた誰やねん?)ま、こっちけぇ、真ちゃん!」と覚えていない出会いがあったりします。

カラオケは、本来、嫌いでも下手でもないですが、ともかく場を盛り上げようと、聞かせるような歌は歌わない。で、もともと、お酒自体が、好きでも強くもない。まして、強要するのも、されるのも大嫌い。

「今日はありがとな」と、午前1時から、カウンターで語られるぐらいなら、午後6時から、さしで行きませんか? そう思ってしまうのです。

それでも、考えてみれば、これが日本の付き合い、日本の営業。 あぁ子どもを風呂に入れたいな。あぁ、そろそろ家族でゆっくり話すような時間がないと、やばいよなぁ。ていうか、疲れてるから、早く帰って寝たいなぁ、などというのは、通用しません。なぜなら、皆同じだから。
本当に喜んで飲んでいる人の横には、また影には、多くの犠牲者がいたりします。
ただ、議員においては、本来は、夜に出るべき勉強会は幾らもあります。少なくとも、放っておけば、これが毎日、連日連夜ということになりかねません。

そういえば、亡父も、一人で不動産屋をやっていましたから、毎晩、情報収集のため、営業活動に出ていました。我が家的にはたいへんなことも多かったのですが、あんたの親  父の酒は、面白かったと言ってくださる方は、いまだに多いです。家では、愛想がないのに、人が多くいると、サービス精神を発揮してしまう。お調子をこく感じが、ありありと浮かんできます。
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父が亡くなった後、あの佐藤のせがれなら、面白いだろうと、例会にずっと呼んでくださったり、地域の方も、亡父の関係で声をかけてくださったりするのですが、私は、面白くないようです。何をしていたんだ?親父。

家族の目からは、冠婚葬祭の葬であろうと盛り上げようとする。特に、兄弟にとって、初めての骨上げとなった祖父の葬儀の後、家族が揃っていたのが、よほど嬉しかったのか、「焼肉を食べに行こう」と駄々をこね、総スカンを食い、「骨上げの後に、焼肉が食べれんようで、何ができるんなら?」しょげていた父。
やっぱり無為だと思います。
父が77歳で生きていたら、どんな無茶な酒飲み老人なっているかと思います。

いずれにせよ、お酒が悪いわけでも、お店が悪いわけでもありません。出会いのタイミングの問題と私が、変わっているのだと思います。

ただ私にとって、唯一の例外は、岡山青年会議所在籍時で、この会の場合は、二次会に出ないということは考えにくかったです。ただ、基本的には、二次会場も固定化しており、最終年は、会員研修委員会で、2時、3時になることも多かったですが、在籍中に夜の街で、浮いた花が出るような仕組みにはなってはいません。

それ以降、7時半頃から少し無理に誘われる会合もありましたが、1次会が終われば、まず、二次会場に移動することはありませんでした。
特に、それをいわゆる派閥内でも通してしまうので、先輩、同僚議員から、つきあいが悪いと受けとられているのは間違いありません。

もっとも、さしで話そうというリクエストがあれば、大好きな星乃家のカウンターで、焼き鳥で語るということもありました。本気で政治について語り合うなら、場所や時間はどうでもよくて、傍らにお酒や女性が必要だと思いません。いまだに、夜、特定の人が、ムードで決めることって、多いんだろうなぁ・・

そういえば、先日、オンブズマンの方から、「どうせ毎晩呑んでるんでしょ。あなたも、お酒大好きなんでしょ。」と言われました。まぁ、そういうイメージをお持ちになられるにはそれなりの根拠もあるのでしょうから、悪いのは我々の方ですが、一応個人的な事情は、説明しておきました。

ただ、冷静に考えるに、これもひとつ、飲むという単純にストレスを発散する場がなかったんだなぁとも思えます。
今になって悔やまれるのは、どこかで本当にゴルフはやっておくべきだったなということです。人間関係が広がっていたでしょうし、なにより楽しそうです。もったいなかったです。