10月10日(祝、月、体育の日) 冷える体育の日

10月10日(祝、月、体育の日)

 晴れの特異日と言われる東京オリンピックの開催日であった体育の日。10日の今日がやはり、それらしいですが、冷え込むということは、なかなか想像できませんでした。
 今日は、いろいろありました。これからしばらくはたいへんです。

【親の愛】
 地球がどうなろうと、世の中がどうなろうと、やはり絶対に揺るがないのが親の愛だと思います。世の中で、これは、絶対のものであるというのは、親の愛情と人は誰もが必ず死ぬということだと思います。
 特に、父親が息子や娘に対して持つ愛情に比べて、母親の愛情、特に息子に対する愛情は、核兵器も絶対に勝てない宇宙一のエネルギーだと思います。

 9月定例会のTV中継で、頻繁に汗を拭く私の後ろ姿を見て、体調が悪いと心配してくれたのは母親だけです。実際、9月定例会は、ズタズタでしたから。
 とにかく、ストレートで直球を放り込んできますから、なかなかたいへんです。

 父親の息子への愛情は、多少複雑です。特に、思春期になれば、どこの家庭だって、父子が、友達のように接することなどなくなるでしょうし、なんとなく、お互いに気遣いながら、父親の存在自体が、鬱陶しく、父親がなんか言ったら、結果的に皮肉になるようなどこか滑稽なものがあると思います。
 あくまで結果的に、壮絶な喧嘩になって、病院から帰ってきた真夜中に、父が何も放送していない砂の嵐状態のTVをずっと見ていた姿を思い出したりします。その頃、父は、まだ40歳でした。
 最初の選挙の時に、人工透析を受けた帰りに、私のビラを配って回ってくれたこと。亡くなっあと、父が、私の新聞記事のスクラップをつくってくれていたこと。

 少しだけ本会議を抜けさせてもらいながら、ICUに行き、脳梗塞で、分かっているのか分からない父と言葉にならない会話をしました。結果的に、ICUで、動かなくなった父を最初に確認したのは、私になってしまいましたが、あの1週間の間に、一生分の会話が通じていたと信じたいです。
 
 父親が息子にしてやれることは、死に様を見せることだと思います。思えば、あの時、親父も大変だったんだなぁと、あとになって初めて、苦労や愛情が分かる。
 すこし、息子に伝えたいことを伝えてはいるのですが、今は全部は分からないかもしれません。だからこそ、【佐藤真治のこころ】のように、今、文章を残しています。

 それにしても、母親の愛情は強烈です。52歳の息子が、心配だ、大丈夫だ、などと、なぜ回されても、こちらはどうして良いやら分らないです。
 後期高齢者を越えた母親に、心配の種を巻き散らしている現状。

 義父母が妻を思う愛情や妻が息子を思う愛情。いろんな方が、私に下さっている思い。そういう思いに、ことごとく傷をつけているのは、外ならぬ私です。
日々、無価値館や孤独感に苛まれて、へたばっています。
 しかし、そういう馬鹿な息子に足して、母親だけは、どこまでも味方なのです。