10月8日(土) 蒸し暑い一日

妙に蒸し暑い一日です。

【風が吹くとき その2】

私の大好きな映画に、ニコラス・ケイジ主演の『天使のくれた時間』という佳作があります。もしもあの時、違う選択をしていたら二人はどうなっていたんだろう?

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風が吹いて、帆を張ったら、全く思わぬ展開になっていました。

 

しばしば考えるのですが、あの時、会社に残っていて、何年かかけて、新卒の給与からスライドされて、共稼ぎしか考えられませんが、結婚して、子どもができて、思い切り長期のローンで家を建てて、今頃は、役職もついていたりして・・という人生は、やっぱり良いなぁと。

人間は、本当にまじめにコツコツと生きるのが一番だと思います。もちろん、ライバル会社や競争相手はいるでしょうが、心から憎む必要もありません。なにより、誰かをどこかで馬鹿にして、自分のために利用するような生き方の人間に波長を合わせるような努力をすることはありません。
土曜日や日曜日の夕方に、家族でスーパーで買い物をすることに、後ろめたさを感じることもない、連休はしっかりと休んで、友達と出かけて、入ってくるお金を性悪説のごとく常に監視されるようなこともない。
別に、どこかに行けば声をかけられたり、挨拶をしなくてはいけないという人がたくさんいる有名人である必要もありません。
家族で、健やかに、朝御飯と晩御飯が食べられて、日々穏やかに暮らせれば、それが一番幸せなことです。

ただ、小さな帆は、その逆の風を受けました。それを運命という人がいるかもしれません。
特に、亡父が、宅建の関係で旅行に行った夜に、この話になり、県議会議員の先生については、「ちょっと待て」という話になりました。なにかあっても結局どうにかすると信じてくれていたのか、こういうことで、父から止が入ったのは、初めてでした。

また、この話では、伯母も動いてくれたのだと思います。弓之町の従兄妹の家に泊まりに行くとか、中学・高校時代に我が家が大混乱しているときにいろいろあった以外は、非常に賑やかで派手なこと政治が大好きな叔母さんという印象でした。どうも、自民党女性局では、ブイブイ言わせていたようです。
その頃、代議士ご夫妻の名前から一文字ずつとった「一枝の会」の事務局長として、ある代議士の代替わりの時に、女性戦隊を持ってきてしまったということで、その筋として、その県議会議員の先生とラインが合わなくなっており、
それは、ちょっと困るということでした。

また、伯母は、片山虎之助先生のゆり子夫人を支える女性の会「ゆりの会」の会長をしており、従妹が花束を渡す役だったようです。
そういった御縁もあり、とても身近に感じておりますし、本当に、ゆり子夫人からは、いつも、心配や労いの優しいお言葉を頂戴して、感謝しています。

そして、事務所に入ったのが、12月8日。叔母は、翌年の成人式の日に、あっけなく亡くなってしまいました。まだ50才でした。
ちょうど津山に上がっていた帰りに、電話に出られた代議士が、後部座席に寝転んでおられたのを思い出します。

思えば、それで、今から思えば、後ろ盾を失った気がします。そして、伯母のことは、忘れられてしまいます。
今、本当に夫婦に対して、いじめのような誹謗中傷の言葉を浴びせてくださる人たちがいます。私から見ると、固まり具合が、スケバンのような下品な素行にしか見えません。
よほど自分に自信のない(もはや侮蔑の対象になっているのに本人だけが気がついていない)コンプレックスの裏返しでしかないのに、トップでないと気が済まず脇を子分で固めたがるスケバン。底意地の悪い顔をよく鏡で見てみろと思うのですが、もはや、あ、ネコが歩いてるなぁというぐらにしか思っておりません。どうか体育館の裏に呼び出さないでください。
こんな馬鹿なこともなかったろうなぁ・・・。

 

ところで、被害者友の会会長が紹介してくれたこの時の県議会議員というのが、故森正人先生で、普通は、森先生が、激怒され、業界入りなどできるはずはなかったのですが、ゆえあって代議士秘書にという展開をよく赦してくださったと思います。
メンツ丸つぶれも甚だしいのですが、やはり、故橋本龍太郎総理に、それだけ愛され、大切にされたのだと思います。元秘書に対して、いまだに橋本家のご配慮があり、涙が出ます。
可能性を引き出して頂いたからこそ、順送りされる、本当に森先生には、感謝のしようがありません。

おまけに、それから5年後、私は県議会議員に出ていくのですから、いよいよ性質が悪いです。
時々、飲み会で、「佐藤君は、僕の秘書になる予定だったんだ。」と言われることもあったのですが、あまり盛り上がったことがないので、業界でも、あまり知られていないと思います。

もっとも議員としては、森会長に、佐藤事務局長という立場で、他の議員が言いたい放題いう中を議員定数削減や岡山市の政令市推進に持っていきましたが、これも、森先生なくしては、できなかったことです。

いずれにせよ、親戚で、丁稚奉公とはえ政治の世界に入ったことを喜んだのは、叔母しかいませんでした。
父方に議員はおりませんし、母方の祖父が、大庄屋だったので、推されて、児島市議会議員を1期だけやったという以外、議員になった者もおりません。
正直に書いて、身近に選挙があるような暮らしは、できるだけ避けるべきだと思います。