10月7日(金) 23年前のこの頃は・・

あぁ今日の佐藤真治のこころは、23年前のこの頃のことです。23年かぁ・・

山根康広=『Get Along Together』

 

【風が吹くとき】

政治の世界では、よく風という言い方をしますが、ひとたび、風が吹き始めると止まらないと感じたのは、郵政民営化選挙と政権交代選挙です。まさに怒涛の如く、ムードが盛り上がり、もはや誰も止められない、正直なところ、改革政党自民党です!!改革には痛みを伴う!と叫んで、街宣車への声援が止まらない郵政民営化選挙など、今から思うと、狂気の沙汰でした。

時には、個人にも、そういうことが起こって、風に向かって帆を張った船が、あっという間に大海に出ていき、一挙に注目が集まるということがあります。
しかし、自力でなく流された船は、明後日の方向で、難破してしまうケースも多いと思います。そうなると、かえって風が吹いたのが良かったのかどうなのか、見苦しいなという感じになってしまうことすらあります。

ただ、政治の世界に限らず、どんなの人生にも、大なり小なり、自分でもよくわからない風が吹くことがあると思います。決して爽やかな春風とも限らず、なにも、そこに帆を張りだす必要もないのですが、帆を張ると、するすると流されてしまうような説明できないことというのがあります。
願っても進まないのに、願ってなかったのに進みだす、人生には、説明できないこともあります。

結局、岡山リビング新聞社には、1年在籍していないのですが、私の方に、恨みがましいことがあるわけがありません。むしろ、楽しい思い出しかありません。
遅れて出てきたダメな社会人を本当によく面倒を見てくださいました。
今も、お付き合いはありますし、独立されて、出版社を起業された方もいて、ライターの一線で頑張っている方もおられます。ただ、高校の1年後輩の編集部のN女史とは、しばしば衝突しましたが、もう会うことができません。

ペイドでも、どんな広告でも載せるわけでなく、地域や生活に根差した情報を女性の視点から発信する「暮らしの手帖」のような気概があります。そんなに早く去ることになるとは、自分でも、全く思っていませんでした。

秋に、島根原子力館おもしろわくわくツアーの添乗員を終えて帰ってきたときには、若い女性参加者から、一緒に写真撮ってくださいと言われてみたり、あにより、バスを降りるときに、本当に多くの方から『リビング岡山』への感謝や励ましの言葉をただいて、無茶苦茶嬉しくて、これからも頑張ろうと本当に胸に誓ったのです。

ただ、その夜に会長さんから手紙が届いていました。実は、後で知ったのですが、私がいた1年が、会社史上最低の年と言われるほど、実績が悪く、要は、てこ入れだったっと思います。ただ、誰に送られていたかもわかりません。
そこに、他の会社から声がかかっている者があれば、引き留めはしないというような文章もあり、当然、不要社員に入っているんだろうなと素直に感じました。

そして、その夜、本当にまさにその夜、現在の佐藤真治被害者友の会会長から、「地方議員の秘書になる気ねぇ?」と電話がかかってきました。
「あ、今なら、円満退社で行けると思うで」と即答。
なんだかわかりませんが、急に政治の方に、風が吹き始めました。

会社の方は、10月で退社。僅かだとは思いますが、遊休も使わず。ボーナスも退職手当(あったのか???)も頂戴せず、特になにもなく。
おそらく、後のことがなければ、記憶の片隅に埋もれる幻の社員だったと思います。

一方、来週から来てくれ、名刺を作っとかなきゃなという話は、私関与していないようなところで急展開。地方議員の秘書ではなくなりました。風の流れです。
11月までは、スーパーの試食売り場で、男性マネキンのようなことしておりましたが、そもそも秘書ってなんだろう?ということすら知りませんでした。