10月6日(木) 知事選挙公示

%ef%bc%91 %ef%bc%92

本日、岡山県知事選挙が公示され、現職の伊原木県知事が、岡山県庁前から、2期目に向けてスタートしました。自前で選挙が仕切っていけるということで、いろんな意味で、本当にきっちりされていると思います。

自由民主党にとっても、大切な推薦候補ですから、敢えてお願いがあるとすれば、やはり、2期目は、教育再生、産業振興に加えて、特に県北の振興、防災対策、なによりも、福祉施策にさらに力を入れて頂ければと思います。

それにしても、久しぶりに、娑婆に出て、青空を見た気がします。ロキソニンを用心のため飲んで行きましたが、少し汗をかくと、いつもの薬のにおいがして、本当に気持ちよくありません。

県庁食堂が、いよいよ形を失っていくのが辛いなぁ。

%ef%bc%93
【なぜ選挙に出るのだろう】

たとえば自分の進みたかった本来の夢をかなえるために、リスクを背負って、会社経営者から転身するために、伊原木知事のように選挙に出ることは、他人がとやかく言うようなことでなく、人生の選択として、あることなのだと理解できます。

 

ただ、なぜ世の中に、かくも選挙に出たいと思う人がいるのか、理解ができないときがあります。やはり、大義がなければならないし、当選して何をするのかという明確な思いがなければ、人生を賭けて、大博打を打つようなことは、普通は、考えられません。
なによりも大切なことは、使命感であり、それができなくなれば、腹を掻っ捌いて死ぬという侍であるということで、私自身、議員として議場で、果てたいと思っています。少なくとも、いわゆる半代表として、本会議や委員会で発する言葉で、少しでも、前に進んでいく可能性があるからには、議員は、会議録に残る発言を続けなくてはいけません。

 

しかしそれ以上に大切なことは、動機です。世の中を良くしたいなどというのは当たり前のことですが、私自身の根っこは、怒りにあります。義憤と言えるかもしれません。
我が家の昼夜保育園で感じたこと。弱い者は、どんどん弱くなる。そのひずみが、全部、子ども達に行っている・・・これで良いのか?ということです。

私は、ずっと私なりの政治の目標として、またあるべき姿として、『愛と夢の公正な分かち合いのために』ということを掲げてきました。「愛」と「夢」という美しい言葉ですが、それは、言葉を換えれば、「現在」と「未来」ということです。それらを平等にというのではなく、システムとして、「公正」に分かち合うよう努力するのが政治じゃないかということです。

50円のイチゴを買うかどうかで悩む母の横にいたり、今日の晩御飯は、これで我慢してとインスタントラーメンが続く日があったり、家庭内のゴタゴタに警察が来るようなことがあったり、私の見てきた現実とか体験は、楽しいことばかりではないけれど、『愛と夢の公正な分かち合う』政治を実現するために、手段として、選挙があるのです。

怒りは、動機として、美しくないかもしれません。しかし、それは、国際社会の紛争の根っこにあるものですし、実は、地域間格差、労働施策や福祉や社会保障、さらに具体的には、貧困や教育格差の根本にあるものかもしれません。
その怒りをどう昇華させ、施策にできるか、だと思います。

 

さらに、天から与えられる応えなくてはいけない使命があるはずです。
例えば、県立児童会館(サイピア)を残すためには、岡山県サイドから岡山市の政令都市化を推進するためには、選挙区をめぐるゴタゴタを解消するためには、防災対策を推し進めるためには、内尾のメガソーラー誘致を阻止するためには、絶対に私の力が必要だった。私以外できなかった、そういう自負があります。
逆に言えば、もはや時代が私を呼ばないのなら、岡山県にとって、必要な議員でないと自覚したら、私の役目は済んだと自らを裁く覚悟もあります。

振り返ってみても、私は議員にならせて頂いて、楽しいとか嬉しいとか思える瞬間はありましたが、幸せだと思ったことは、一度もありません。
初当選後すぐに、税理士の大学の先輩から、「お前みたいなのが議員になっても、そもそもビジネスモデルとして破たんしているよ。早く辞めたら?」と言われましたが、破たんしたまま進んできました。
『神様の逆宝くじ』が当たってしまったというのは私のよく使う表現です。

そのように感じている者としては、いったいこの人は、なんで選挙に出て、具体的に政治として何がやりたい人なのだろう?と考えることが、しばしばあります。
行き当たりばったりなのか、芸能人でも目指すのか、何様なんだろうな・・・。

 

また、地方議員なら、それぞれの議場が、国会議員なら永田町が主戦場でなといけないはずですし、そこから伝わる評価がありますし、なにより、そこで力がなければ、地域や国のことができるはずがありません。
にもかかわらず、期数をどれだけ重ねても、選挙に通ることそれ自体が、完全に目的化しているようにしか傍からは評価されていないケースもあります。ビジネスモデルとして、成立しているのでしょう。

いずれにせよ、選挙に出るということは、本来おかしなことです。「私はこういう立派な人間で、必ずこういうことができます!」などど往来で叫んで回ることなど、奥ゆかしさがある通常の感性の人間ができるはずもありません。

やはり、きっちりとした組織内で切磋琢磨の中から選りすぐられた能力と感性を持つ人間か、地域でその人格や識見が高く評価される権力欲の全く無い方が、推しに押されて、やむなく出馬に至るというのが理想的で、単純に言えば、出たい人より、出したい人をということです。
特に、地方議員は、ある程度の任期で区切って良いように思います。敢えて言えば、私の5期は十分のはずです。

 

ただ、私の選挙に関わってくださった方々に、本当になんの恩返しもできていません。本当に全くできていません。
貴重な時間やお金や気持ちを注ぎ込んでくださったのに、お詫びを申し上げるしか今の私にはできません。本当に申し訳ありません。

 

上條恒彦=『だれかが風の中で』