10月2日(日) 暑い青空
青空が見えたというよりも、ひさかたぶりに暑い日でした。
サーバーがどうだとか思っていたのですが、実は、9月29日で、電話やインターネットサービスが使用停止になっていました。事務処理が、適切に行えないような時期があったため、単純に料金未納で、電話を止められたわけす。日曜日にどうなるものとは思いませんが、いつどうなるのでしょう。
情けないことは、けっこう多くありますが、これも比較的情けないことです。
【コツンと音がする その4】
それでも、もともと現実逃避には長けていて、違和感を持ちながら、本を読み、いわゆる名画座やビデオで、古今東西の名画を観まくり、青春18きっぷの季節ともなれば、沖縄県以外の日本全国を鈍行列車で旅してまわり、悩みのような青春の苦悩ぶったことを書き綴った大学ノートは、何冊にもなりました。
あげく、落語というものを知り、寄席に行くことを覚え、柳家さん喬師匠の弟子になれたら良いなぁと本気で思っていました。
敢えて言えば、典型的なモラトリアムです。それが許されるぐらい幸せだったのです。
そして、リクルートから分厚い就職ガイドが何冊も届くようになっても、なにか努力しようという意識は、まるでありませんでした。景気の良い売り手市場で、私のようなものでも、一部上場企業から声がかかるそんな時期でした。
今、就活をしている学生たちや何よりも、専門科に行って、高校卒業後は、就職するという意識を持った学生を見ると、本当に私は、恥ずかしくなります。特に、家庭の事情で、進学をあきらめざるをえない高校生は、いくらもいように。なによりも、連敗を繰り返して、プライドをズタズタにされても、就活を続ける学生からすると、単に客観評価が怖いだけのなんの能力も持たない甘え切った学生でしかありませんでした。
家業が自主廃業しただの、親の苦労に報いなくてはいけないなどと勝手に不幸を装おうような言い訳をして、その実は、親に甘え切っていたのだと思います。自分の人生にあまりに無責任でした。
クラスメートは、しっかりと大手に就職しました、高校時代からJRAが好きで、JRAに就職するというのが単純に羨ましかったり、現在、朝日新聞の編集委員で、天声人語を書いているクラスメートもいます。マスコミが一番の王道かもしれません。政治経済学部政治学科で、どの程度、政治の世界に進んだ人間がいるかは分かりませんが、大なり小なり首長であったり、国会議員であれば別ですが、地方議員でことさらの評価を受けるような価値基準ではないように思います。
いずれにせよ、司法試験の勉強を続けるという、なにひとつ保証もない道を選んで、岡山に帰るという選択をしました。というよりも、単純に東京に負け、早稲田に負け、明らかな都落ちでした。自分勝手な大義に関わりなく、何もできなかっただけのことで、冷静に考えても、全く使える人間ではなかったと思います。それを認めることすらできなかった。
そこから、しばらくは、本当に辛い日々でした。事実上は、プータローですから、日々、世の中とずれていくことだけは感じました。そして、それを変え得る力を自分は持っていない事が分かっているのに、ダメ出しができない。野茂の脱三振記録以外に、全く楽しみはなく、誰一人知らない岡山の街をぼんやりと歩いていただけです。そういうときでも、声をかけてくれて、草野球を一緒にした高校時代の友人だけが、世の中とのつながりの全てだったかもしれません。
その頃、食べるという行為自体が、罰当たりなことに思えました。特に、大小関係なく魚がダメでした。変な話ですが、無価値な自分食われる魚と目が合うというということが、苦しくてたまりませんでした。無価値な自分の世の中に対する言い訳だったかもしれませんが、当時、1年で、20kg以上痩せました。
今に至るまで、精神科にかかったことはないのですが、十分病んでいたと思います。
そして、ある日、自転車で、側道から出てくる自動車とぶつかりそうになりました。急ブレーキをかけた次の瞬間、あ、どうしてぶつからなかったのだろう?と思いました。たとえ、病院のベッドの上だろうが、お棺の中だろうが、少なくとも今と状況が変わるチャンスじゃないか。・・・この時、はっきりと自分がおかしいと自覚しました。
その後、雨の中をずぶぬれになりながらついた浦安の図書館で、一冊の心理学の本を手に取りました。もちろん、大学時代の一般教養で心理学は受講しているはずですが、当事者や対象として、素直に自分をとらえることはできませんでした。誰もが、自分のことが、一番わからないのです。
どうも、これはおかしい、自分が選択してきたことや大切だと考えていたことが、本当に自分の意志によるものなのかどうか。その本には、自分のことが書いてありました。
しばらくして、どこにも行かないと決めていたしばりを解き、かといって、お金もないので、広島に行きました。帰りたくないので、ただただ歩き回って、真夜中に、電話ボックスの中でへたり込みました。自分がいったいなにをしたんだ?これからどうしたら良いんだろう?とうずくまる中で、コツンと音がしました。
それは、底を打った音。そして、新しいスタートの始まりの合図でした。