9月30日(金) 秋雨

梅雨のようなすっきりしない秋雨が続き、9月が終わります。倦怠感は、どうしようもなく説明できませんが、いったいこれが、中小企業のノルマや責任が課せられた中堅からベテラン、ましてや若手なら、とっくに潰れていたことでしょう。
夫婦別居にして、生活保護を受給するというのが、現実問題最もあり得る手段のような気さえします。

【コツンと音がする その2】

 かくして、偏差値の私立文系の雄に入学した私は、浪人をしたことは差し置いて、謙虚さはありませんでした。
 ただ、エリート意識の薄い、はたから見れば、エリートのような集団の中で、もちろん、東大を落ちて、隠れ受験をする見たこともないクラスメートもいましたが、しかし、より変な意識を持つ奴を「ミスター不愉快」と呼ぶぐらいの健全性はありました。しかし、一方で、なにかの拍子に受かったような現役生がいたり、逆に、なぜ敢えてと不思議な経路をたどり入学した3浪生がいたりしました。
 多種多様な人間がいても、共通するのは、誰もが何かをしたいと考え、はなから早稲田に、強い憧れと誇りを持っていることでした。

 ただそれが具体化されるのは、やたらとWASEDAのネーム入りのスタジャンを着たがったり、クラスメートが、すすき野で、呼び込みに、「早稲田ですから」と断って、激怒されたレベルです。なんか言ってみたいだけ。そう言えば、友人が、ディスコに行って、目の前の女性に、「へい!彼女、野球どこのファン?」と聞き撃沈したと聞き、それなら仲間で、六本木のディスコに行こうという話になったものの、びびって、誰も入れず、六本木のつぼ八で、朝まで過ごしたのも、今となっては、情けない思い出です。慶應なら、行ってたよな。
 あとは、後楽園球場で、切符のもぎりのバイトをやったり、いいかげんな家庭教師や塾の講師をやってみたり、体育会系のグリークラブを夏合宿でクビになったり、わけのわからない温泉サークルで、長瀞峡で、真夜中に花火を飛ばして
怒られるたりする、それなりの大学生活でした。やはり、どこか抜けている気がします。
そして、我々WASEDAは、強いものに与しません。在野精神を発露し、大勢がどうあれ、世間の評価がどうあれ、自分が行くべき道を行きます。

 それでも、ただ、何をやっても、どこかにエリート意識があり、どこかで、なにかをなめていた気もします。
 これは、生まれてずっとエリートをやり続けている人は、どれだけ礼儀正しくても、明らかに持っている選民意識のようなものです。彼らは、対人関係は、踏み込まず、かしこくこなそうとする、こういえば褒められたり、感心されると分かっている、そして、その根底では、やはりどこかで人を馬鹿にしている、軽く見ている、時には、普通の人生経験の不足というコンプレックスを抱えながら、自己肯定感に満ち溢れている姿として、しばしば見受けられるものです。
  しかし、しばしばなにがしかのリーダーに立つそういう人の足を引っ張ることは、さらさらありません。

  ただ、そういう人たちに本当に気がついて欲しいことは、人は誰もが変われるということです。あるいは、変わろうとすれば、そのチャンスがあること。頑張れば、なんとかなること。そしてなによりも、人生の幸せの価値基準は、一つではないということです。