暑いわけですが・・・
本日終了いたしました創立45周年記念岡山写真家集団展で、いたって地味で全く注目を集めなかった珍作『ブランコ』を出展された佐藤真治さんに、作品の見所について、伺いました。なお、佐藤真治氏は、7月19日から天神山文化プラザで開催される佐藤白秀先生主催の「抱象会展」において、今度は、書を出品しているという説があります。全く持って恐れ多いというか、恥知らずというか・・・。
そんな佐藤真治さんが、『ブランコ』について語ります。
この作品は、児島虎次郎の書いた椅子の絵へのオマージュとして作られた一連(幾つあるんなら?)の作品のひとつですね。以前、虎次郎の誰も座っていない椅子の絵を見た時に、確かに、そこに人がいた、しかも本当に大切な人がいた、もう二度と会えない人だけれど・・・・そんな切なさや悲しみや喜びや感謝・・・を感じたのです。
椅子しか書いていないのに、確かに、そこに人の温かみがある。「・・・座っていたのは・・・・大切な人だったんですね。・・・・・・でも、もう会えない人ですね。」と声をかけたら、「・・・・そう・・・本当に大切な人でした。・・・・貴方なら、誰が座っていますか?」と、問い返されるような絵でした。人を描かなくても、確かに人がいる・・・。すごい絵だな、と思いました。ただの椅子の絵なのですが・・・。
45周年記念写真集の『思ひ出』も、そういった趣旨です。これは、大好きな畑鮎の一風景です。とっくに路線バスは走っていないのですが、そこにある停留所に惹かれたのです。朝に夜に、夏に冬に、確かにそこで乗り降りする人の笑顔や涙があったような、そんな急な坂道。夜まで待っていたら、本当に不思議なバスが、来そうです。でも春の青空の下、なぜかちょっと暢気な風景。あたたかい方達が、たくさん住んでおられますから。
本当は、昔々の夜のバス停を想像するのです。皆が声を掛け合いながら、運転手さんの笑顔も浮かんできます。冬は、どうだったろうなぁ・・・。時刻表がないバス停だから、かえっていろんなことを考えるのです。
一方で、『ブランコ』。
左側は、北区の内山下の公園のブランコで、右側は、南区の小串の海岸に近いところにあるブランコです。内山下のブランコは、京橋朝市で、駐車場に車を停めたら、なにげに見ることがあるブランコです。小串は、地域の方と海岸線を見に行ったときに気がついたものです。
どちらも、ちょっとさびしく見えます。街中にあるからといって、後ろには落書きもされていて、意外に人がいない。あるいは、そんなに多く子どもが、乗っていないかも。海岸のそばのブランコは、いったい誰が、誰のために作ったんでしょう???でも、どちらのブランコの後ろにも道がある。誰かが、ふらっとやってきて、乗って行ったかもしれないですね。あるいは、ある晴れた昼下がりに、同じように、お孫さんを連れたお年寄りが、笑顔で乗ったかも知れません。あるいは、一人孤独を噛み締めた人がいたかもしれない。
でも、確かに、誰かが乗っていて、誰かを待っていて、今日もブランコは、風に揺れています。全く違うところで、同じように・・・。北区の内山下と南区の小串で、同じように揺れているブランコ。あるいは、共振して、大きく揺れていくかもしれない・・・。あるいは、共振させたい、そう思ってもいます。中也が、「ゆあーんゆよーんゆやゆよん」と歌うような切なさではなく、その間にいる私は、むしろ陽気です。
『菊次郎の夏』 http://www.youtube.com/watch?v=dvMa2Rs5xQ8