鳴かぬなら・・・

 

 西日が強烈に差し込む事務所の一角。

 梟の版画は、結婚祝いで、小倉重臣先生から頂戴したもので、隣の額は、国代先生の書を額装したものですが、中の句は、私の作品。「鳴かぬなら その理由(わけ)聞こう ホトトギス」。

 ホトトギスが「鳴かぬなら」の後に続くのが、人生観だと思いますが、信長は、「殺してしまえ」、秀吉は、「鳴かせてみよう」、家康は、「鳴くまで待とう」と詠んだとされ、松下幸之助氏は、「それもよかろう」と詠まれたとか。私の場合は、とりあえず、能動的に、理由(わけ)は聞こうということで、しかし、実は鳴くことができたり、鳴かなくてはいけないのに鳴かないのなら、必ずしも、待たないということでもあります。理由によりけり。

 でも、なんとなく鳴きたくない日もある、そのなんとなくというのも、なんとなく、理解もできるのであります。一方で、「鳴けるなら 時に鳴きたい ホトトギス」という、ホトトギスサイドに立った句も詠んでますから。ホトトギスにも、いろいろ事情が、あらぁな。・・・でも、最後の最後は、本当は鳴くことができるホトトギスには、自らの意思で、自らの形で、鳴いて欲しいものです。自らへの戒めでもありますが。

 しみじみと思いますが、こういう出来ていない私にとって、一番の修練は、議員であることよりも、むしろ、保護司であることかもしれません。直接、誰かの人生に関わる中で、諭したり、導いたりできるには、まだ、かなり時間がかかります。

 『人生を語らず』 http://www.youtube.com/watch?v=tSEJ4I0_pxY&feature=related