10月24日(土) たま電車とLCC
≪わかやま電鉄貴志川線≫
貴志川線は、和歌山県和歌山市の和歌山駅から和歌山県紀の川市の貴志駅までを結ぶ和歌山電鐵の鉄道路線である。通称は「わかやま電鉄貴志川線」。
和歌山市の東郊に延びる鉄道路線で、2006年4月1日に和歌山電鐵が南海電気鉄道から継承した。
すべて普通列車で全線直通は終日1時間あたり1 – 2本。これに朝ラッシュ時と12時台、および15時台以降に伊太祈曽駅折り返しの列車が加わり、和歌山駅 – 伊太祈曽駅間はこれらの時間帯では3 – 4本になる。全列車でワンマン運転を行っている。
南海電気鉄道から引き継いで使用されている2270系電車のリニューアルデザインが、和歌山電鐵の親会社である岡山電気軌道の9200形電車 (MOMO) などをデザインした水戸岡鋭治によって行われており、2006年8月6日からは「いちご電車」、2007年7月29日からは「おもちゃ電車」、2009年3月21日からは「たま電車」が運行されている。
和歌山市と野上町を結ぶべく計画されたが、同時期に計画された野上軽便鉄道の計画に敗れ認可が下りず、計画を変更。沿線にある日前宮、竈山神社、伊太祁曽神社などへの参詣(いわゆる三社参り)のための鉄道として、1916年に山東軽便鉄道により開業した。開業当初は当時の和歌山市街地に近い大橋駅(現在の和歌山駅の南西)が起点であったが、翌年に国鉄和歌山駅(現在の紀和駅)近くの中ノ島駅まで延伸。後に紀勢本線の建設に伴い、東和歌山駅(現在の和歌山駅)に起点を変更している。1931年には和歌山鉄道に社名を改め、1943年には全線の電化が完成した。その後、和歌山電気軌道を経て、1961年に南海電気鉄道貴志川線となった。
1971年に和歌山軌道線が廃止されると、他の南海の路線とは孤立した路線となった。1973年に他の南海の路線では架線電圧が1500Vに昇圧されたが、貴志川線は600Vのまま据え置かれた。
1990年代になってCTC化や車両の置き換え、一部駅の無人化、ワンマン運転の実施などの近代化、合理化が行われた。しかし、1999年に南海電気鉄道も参加したスルッとKANSAI対応カードは当時も貴志川線では使えなかった。
沿線は宅地開発が進んだが自家用車利用が多く、また少子化や自転車通学の浸透による高校生の通学利用の減少もあり、利用者は伸び悩んでいた。2003年11月に南海電気鉄道が貴志川線の廃止を検討していることを表明したことにより存続問題が浮上した。2004年8月には、南海電気鉄道が2005年9月末を以って同線から撤退することを発表し、2004年9月に国土交通省近畿運輸局に鉄道事業廃止届出書を提出した。これに対し2005年2月和歌山県、和歌山市と貴志川町(当時)は貴志川線存続で合意、事業の引き継ぎ先を公募した。同時に、県・市町は貴志川線を下記の内容で支援することを公表した。なお、この支援形態は貴志川線の運営移管の3年前に近畿日本鉄道より運営移管した三岐鉄道北勢線の事例に酷似しているが、支援総額は貴志川線のほうが北勢線より少ない。
貴志川線の鉄道用地は、南海電気鉄道から和歌山市と貴志川町(当時)が約2億円で取得し、これを和歌山県が全額補助する。
今後想定される貴志川線の施設整備(変電所の大規模改修等)に対して、和歌山県は2.4億円を上限にその経費を負担する。
南海電気鉄道から運営移管後10年間の運営費補助(欠損補助)は、和歌山市65%・貴志川町(当時)35%の割合で8.2億円を上限に実施する。
2005年4月には、9つの企業・個人の中から両備グループの岡山電気軌道が選ばれた。そして2005年4月28日、岡山電気軌道が事業を引き継ぐことを発表した。
岡山電気軌道が和歌山市に設立する新会社のもとでの運行開始予定を2006年4月1日とし、事業許可譲渡のため、和歌山市などが南海電気鉄道に撤退期限の延長を求めていたが、南海電気鉄道がこれに応じたため、2005年6月に運営会社として和歌山電鐵が設立され(岡山電気軌道株式会社100%出資)、2006年1月に国土交通大臣に鉄道事業譲渡譲受認可申請書が提出され、2006年4月1日から同社のもとで運行されることになった。
明日の鹿児島での路面電車サミットに向けて、格安航空のメッカ関空第2ターミナルから、初Peach搭乗待ちです。関空~鹿児島が5440円というLCCの雰囲気は、なかなか刺激的です!乗ってみなきゃわかんない、久々のワクワク感!!