あ~それそれ
<fb返信コメントより>
人間世界のことだものと言いながら、 人間なんてラララララララ~ラと、人間万歳!の繰返しですね。
それでも、はっきり言えるのは、自己実現や自己保身のために、誰かを利用したり、踏み台にしたり、徹底的に打ちのめすようなことをした結果として、そういう人は、本当に得たいものが、全く得られていないという事に気がつきます。また、後に語られるような人生も歩けない、むしろ、不幸な人だと思います。はるかに、失っているものの方が多いですね。
誰しもが、限りある命の中で、どう評価されようが、なにを得ようが、最後、レジスターで清算すれば、チーンとゼロになる。あるいは、世界中で、誰かが幸せなら、誰かが思いきり不幸で、トータルゼロの幸せの分取り合戦じゃないか。そういう諦めもあります。
ただ、幸せの総量をあげること、そして、公平は難しくとも、公正に、愛と夢を分かち合うのが、政治の姿だと思います。
誰かを傷つけても、誰かを攻めても生き残るのが政治だとは、私は、全く思わないし、誰かを不幸にしてまで、自分が幸せになりたいとも思いません。
なんか、そのあたりが、そう思うこと自体が、全く現状の政治の世界に、私は、向いていないと思います。普通の人間の普通の感覚じゃ無理なのかな?
ただ、サイピアに子ども達の笑顔が、ずっと残るように、戦いの軌跡は、残っているし、岡山県の財政危機宣言時や岡山市を政令指定都市にする中で、誰よりも苦しんだ自負もあり、たいした評価もなかろうけれども、やってきたことは、たくさんあります。
それでも、こんなことは、私の人生観や死生観に基づく自己満足で、いよいよ家族は、甚大なる被害者ですね。気の毒としか、言いようがありません。