9月22日(火) 敦賀

松任駅は、石川県白山市相木町にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)・日本貨物鉄道(JR貨物)北陸本線の駅である。一部の特急列車が停車する。当駅から金沢駅方面への折り返し列車および始発列車が設定されている。かつては北陸鉄道松金線が接続し、旧松任市の中心駅であった。

ああ い う

え お

か き く たけ こ さ し す せ そ ち つ

≪敦賀駅≫

敦賀駅は、福井県敦賀市鉄輪(かなわ)町一丁目にある、西日本旅客鉄道・日本貨物鉄道の駅である。
日本海側の港町として栄えた敦賀市の中心駅である。駅前には都奴賀阿羅斯等(つぬがあらしと)の銅像、駅前通りには港町に因みヤマトよ永遠におよび、鉄道の町ということで銀河鉄道999の銅像がそれぞれ設置されている。
北陸本線を所属線[1]としており、当駅が起点となる小浜線を含めた2路線が乗り入れている。また、2つ隣の近江塩津駅から分岐する湖西線の列車も多数直通しているが、湖西線列車には近江塩津駅を通過する列車も多く、当駅が実質的な湖西線への乗換駅の機能を持っている。列車も湖西線経由と案内される。また、日中の北陸本線米原駅方面の普通列車(新快速を含む)は近江塩津駅発着のため、一旦湖西線経由の列車を利用して近江塩津駅で乗り換える必要がある。
このほか、当駅からは敦賀港駅へ通じる北陸本線貨物支線(通称「敦賀港線」)が分岐している。この支線はJR貨物の第一種鉄道事業路線であるが、2009年3月いっぱいで貨物列車の設定がなくなったため、事実上休線となっている。なお、JR貨物は北陸本線(本線部)の第二種鉄道事業免許を有している。
北陸本線有数の難所である柳ケ瀬越え、杉津越えに南北を挟まれた駅であり、その歴史的背景から広大な敷地を有する。駅構内の東側には敦賀第一機関区と客貨車区が、また敦賀電化時には駅南側に敦賀第二機関区が設けられ、峠越えに備えた重装備のD51形機関車が多数配置され、機関車の交換やローカル列車の仕立てが多数行われていた。長時間停車の列車も多く、乗客がホームに出て休む姿も多かった。昭和30年代に入り近代化が行われ、「鳩原ループ線」および深坂トンネル・北陸トンネル建設による新線切り換え・複線化と交流電化が行われ輸送力の強化が図られた。現在は長距離列車の大半が交直流電車を使用する優等列車への置き換えられ、2015年3月13日の上り臨時寝台特急「トワイライトエクスプレス」を最後に、長時間停車する列車はなくなった。さらに、国鉄時代には特急列車も含めて当駅には全列車が停車していたが、民営化後は福井・金沢・富山方面への速達性を高める観点から、当駅を通過する列車も設定された。
交流電化は当時最新の技術であったが、その後は直流区間への高価な交直流電車のやりくりができないなどのデメリットも出てきた。そのため、地域活性化の起爆剤として大部分の費用を地元自治体の負担により2006年に当駅以南の直流化を実施し、当駅まで新快速をはじめとする直流電車が乗り入れてくるようになった。新快速は湖西線経由の場合は近江舞子駅、米原駅経由の場合は彦根駅まで各駅に停車するが、案内放送や時刻表には「新快速 xxまで各停」と案内・表記している。またICOCAなどの各種乗車カードは利用できず、改札内の通路にはその旨を記した看板が掲げられている。
北陸本線の長浜駅と当駅までと、湖西線の永原駅と近江塩津駅までの直流電化への変更が滋賀県と福井県が主導となって決まり、2003年4月に工事協定を結び、同年10月26日に着工した。工事は2006年9月23日深夜から9月24日未明にかけて行われた電気設備切替工事をもって完了し、同年10月21日から京阪神方面との新快速をはじめとする直流電車の直通運転が始まった。これにより、朝8時台の福井行き1本以外の普通列車は、当駅で系統が分断された。
2007年末頃から北陸新幹線の敦賀駅延伸を考慮し、「新幹線の状況が決まらない以上、駅舎改築には同意できない」とJR西日本が表明し、駅舎改築計画は事実上凍結された。その後、現駅舎を大規模リニューアルする案が浮上、2008年11月25日に開かれた「敦賀駅周辺整備構想策定委員会」でその方針が明らかとなった。

て と な に

都奴賀阿羅斯等

都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)は、『日本書紀』に伝わる古代朝鮮の人物。
『日本書紀』では「都怒我阿羅斯等」、他文献では「都怒賀阿羅斯止」「都怒何阿羅志止」「都奴加阿羅志等」とも表記される。また『日本書紀』では別名を「于斯岐阿利叱智于岐(うしきありしちかんき)」とする。
意富加羅国(大加耶/大加羅)の王子で、地名「敦賀(つるが)」の由来の人物といわれる。

ぬ ね の

は ひ   ほ ま

敦賀市コミュニティバスは、福井県敦賀市が運営しているコミュニティバス事業、またはその路線や使用車両。運行業務は同市内に営業所を持つバス事業者に委託している。運賃は1乗車大人200円、小児100円。1乗車の運賃で1回限りコミュニティバス他路線への乗継可。なお、福井鉄道の美浜町方面一般路線バスの敦賀市域停留所相互間片道運賃も同額であるが、乗継制度は非適用。全路線が小型低床車両「三菱ふそう・エアロミディ」で運行される。
1998年10月1日 市街地循環線「はぎ号」事業開始。
2002年4月1日 西日本JRバスが近江今津営業所敦賀支所廃止につき敦賀地区路線を全廃したのに伴い、その代替路線及び新設の郊外路線事業「きらめき号」開始。
2009年12月1日 福井鉄道バスの敦賀市内完結路線をほぼ全て廃止のうえ、はぎ号、きらめき号と統合再編し、「敦賀市コミュニティバス」として試験運行開始。
2011年5月1日 一部経路を変更のうえ、敦賀市コミュニティバス本格事業運行開始。
14の路線があり、美浜町域である敦賀半島西岸を経由せざるを得ない市北西端の白木地区を除く市内各地と、JR北陸本線・小浜線の敦賀駅とを結んでいる。南部に位置する愛発(あらち)地区の一部集落へは日曜・祝日・年末年始に乗り入れないが、他の常住地域においては毎日1本以上運行している。

ふへ

み む め もや ゆ

気比神宮、気比の松原、敦賀気比高校・・・・

よ ら り る れ ろ ろろ ろろろ わ わわ わわわ わわわわ わわわわわ わわわわわわ201 202 203 204 205 206 207 208 209

シンボルロードは、敦賀駅前から氣比神宮にかけて続くアーケードに沿った道で、「銀河鉄道999」や「宇宙戦艦ヤマト」にまつわるブロンズ像がずらりと設置されています。     なぜ、敦賀の街に松本零士氏の両作品をモチーフとしたブロンズ像が並んでいるのでしょうか。そのヒントは「銀河鉄道999=鉄道・科学・未来」「宇宙戦艦ヤマト=港・科学・未来」です。 敦賀は、日本海側で最初に鉄道が敷かれた街です。かつて、東京とパリを結ぶ「欧亜国際連絡列車」が敦賀港駅を経由して走り、昭和32年には国内では最初の本格的交流電化が完成、さらに昭和37年には、完成当時日本一、世界第5位の北陸トンネルが開通しました。敦賀は日本海側の交通の要所として「日本でも有数の鉄道と港の町」だったのです。このシンボルロードに設置されているブロンズ像は、1999年に敦賀港開港100周年を記念して、市のイメージである「科学都市」「港」「駅」と敦賀市の将来像を重ね合わせて設置されたものです。

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