吉備高原都市を思う

吉備高原都市に、決算特別委員会の県内調査で参りました。
バブルの遥か前、日本列島改造論のあと、人間尊重・福祉優先の理念で、現状は、10分の1ですが、3万人の都市を創ろうとした構想自体は、いまだに震えるものがあります。早過ぎたのではなく、遅過ぎたのか、なかなか方向が見い出せませんが、可能性を模索し続けます。これからの時代には、構想すらできないような大事業であるのは、間違いないのですから。

 返済不能なほどの多額の借金を抱え、人類史上でも希な少子高齢化に突入する中で、あまりにも漠然とした地方創成か、下山の思想で里山資本主義か、という分岐点にあります。それでも、登っていきたいという思いは、消せません。
  私は、長野県政とかぶってはいませんが、たとえば、本当に、操車場跡地に、チボリ公園があったらどうだったんだろう?あるいは、上手く機能しているとは言い難いですが、生涯学習センターの美しさを見るにつけ、なにか理念が生かされていないような気がします。吉備高原都市も、しかり。何もしなければ、道には迷いませんが、何もしなければ、思いごと、まるで化石になってしまいます。
 少なくとも、先人のせいにして、歩みを止めたり、活かすことを諦めたくないですね。現にそこにあるのですから。