全国学力テスト低迷 教育再生

全国学力テストの成績が発表されました。教育再生の方向が、ずれていると評価せざるをえない結果です。成果を出す以前のもっと根っこの部分が問題では。中学時代に、家業がなくなり、遊び呆けていた私に、「今まで出会った生徒の中で、5本の指に入るキラリと光るものがある」と、適当に言ってくださった先生の言葉は、いまだに支えです。母にとっても。・・今、子ども達は、どんな大人に、出会えて、どんな心に響く言葉を貰っているでしょう。・・やれる理由をさがせ。

以下、Fbで、私自身がコメントさせていただいたものだけ、掲載させて頂きます。
本当に、なんのために学ぶのかということが、実は、大人も、子どもも、分かってないのだと思います。幸せになるためというのは、そうですが、単純に言えば、自らが道に迷わないため、迷った人を助けるためだと思います。

いわゆる成績が優秀でも、誰かを踏み台にしては、むしろ害悪だと思います。環境や才能に恵まれている人達の足を引っ張る必要は、さらさらありませんが、そうした方々が、他者を押し上げることをしなければ、世の中よくなりません。優しさや思いやりがなければ、成績だけ上げる意味がないと思います。まずは、人間教育、人間力のアップが、必要だと思います。

中学時代のさとしんなる者に、馬鹿にされないおっさんに、なりたいです。あいつ、けっこう、人を見てますからね~。

憧れるモデルになる大人が、いないので、それを目標に頑張る指針がないのだと思います。実は、大人にとって、最大の恥だと思います。岡山の大人の危機です。

三世代同居と学力は、確実に関係があります。おそらく、人間力においても。なにかが、めげているとしたら、学校教育だけの問題ではないと思います。

議会や委員会では、かなり議論もしてきたけれど、いかされておりません。残念ながら、教育危機宣言を発令し、叡知を結集するしかありません。今は、大人の責任の擦り合いで、本当にみっともないです。

実は、教育県といつ、なんで言われていたのか、不明なのです。閑谷学校があるから、六高があったから、あるいは、ベネッセさんがあるから・・・と言いますが、実は、夜の街が、穏やかなことを揶揄して言ったのではないかと思います。そういう意味では、教育県復活というより、創成ですね。

そうですね、わしみたいになりたかったら勉強しろ!ではなく、わしみたいになりたくなかったら勉強しろ!堅気になれ!と、私は、息子に言っていると思います。

なんか、競争の質が、悪質になっていると思います。子ども達が、本当にかわいそう・・。

確かに理不尽でも、我慢して耐え抜くことを保護者も、避けているかもしれません。所詮、社会は、理不尽なものですから、そこを耐え抜く力は、子どもの頃に、 身につける必要があると思います。勉強であれ、運動であれ、とことんやり抜いた自信は、必ず未来に生きるものだと思います。問題は、大人が、理不尽を強いるだけの揺らがない信念を持てるかどうか。大人の生きざまを子どもは、見ていますから、やはり、親のあり方で、そこを学校教育に求めることは、保護者の甘えだと思います。

まさに、三世代同居が、教育県秋田のキーワードだと、私は、感じております。塾が、ポイントでは、実はないということです。おじいちゃん、おばぁちゃんがいてくださることが、子ども達にとって、どれだけ大切か。愛情やいたわりの中で、人間力が培われるということで、教育再生という場合に、実は、あるべき家族や家庭の姿も、問われていると思います。

私達が、もらったもの以上に、子ども達に、譲れないとしたら、親として、こんなに辛いことはないです。絶対に戦争があってはいけないし、これ以上、借金のツケをまわすわけにはいきませんし、それでも、より良く生き抜いていく力を身につけさせてやりたいし。まるで親が、試されているようですね~。

数十年というと、孫子の世代ですが、なんとか、ここでひとふんばりしないといけないのは、今を生きる私達でございます。ただ、成績だけなら、沖縄県の大躍進があり、これはもう、何を言っても、やれる理由をさがせなかった言い訳でしかないです。

気になるのは、格差です。保護者の状況が、まともに子ども達の成績に、直結することが問題だと思います。少なくとも、義務教育の段階で、基礎学力を身につける機会を奪われている子ども達がいます。おそらく、勝ち組は、黙して語らないでしょうし、切実なものを感じていないかもしれません。ただ、この格差は、循環して、将来にも及ぶ可能性があります。平均点では、評価しえなない部分がありますが、やはり、底上げに明確に焦点を絞る必要があると思います。それはまさに、教育以前の子育て支援の充実でもあると思います。

まさに、他県で、具体的な成果を出しているわけですから、昨年に比べて、10位下がりましたというのは、ある意味、政治責任と言えると思います。少なくとも、施策が上手く機能していないわけですから、本当に現場や家庭で、求められているものはなんなのかをしっかり受け止めて、真摯に対応する必要がありますし、なによりも、子ども達の現状をもっと明確に把握する必要があります。というようなことを本会議や委員会で、言い続けているねですが、今は、労務管理的に、現場に激をとばしているだけではないかな、と思います。ただのパフォーマンスでしかないです。

なぜ人が頑張ることができるかを考えたときに、やはり、所詮、人は一人では生きていけず、他者の評価や承認が、必要だと思います。なかでも大切なのは、なにかをしたら愛される、さもなくば、受け入れられないという条件付きの愛ではなく、無償の愛情で、ただただ生まれてきてくれてありがとう という、親の愛情だと思います。それがあれば、今度は、他者を労り、誰かを笑顔にするために、頑張れると思います。子ども達同様、現場の先生方も、保護者達も、大切な言葉を貰っていないように思います。それは、いつも頑張ってるね、ありがとうね、という、最初の最初に必要な愛情のある承認です。また、責めあげられたら、足がすくんで、もう動けなくなる気がします。

底上げは、教育というより、政治課題そのものですが、一番弱い子ども達に、課題が顕著に出てきてしまいますね。

幼稚園や小学校のPTAをしていて感じたのは、PTAの活動に参加してくださる保護者は、大丈夫ですが、そういう活動に、来てほしい保護者が、来てくれないのが悩みでした。強制が、きかないですから、本当に難しいです。