市町村合併の功罪

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

岡山刑務所。保護司として、第28回岡山地区矯正展。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

午後からは、公益財団法人 後藤・安田記念東京都市研究所主催の第36回『都市問題』公開講座=『市町村合併~その功罪を考える』をきっちりと拝聴しました。

結論的には、功罪あるものの、いわゆる平成の市町村合併は、「究極の行財政改革」を促す政策手段であったという、つまりは、中央政府から求められた行財政改革であった、という論調でした。

そして、都道府県は、合併推進要綱の作成に基づいて、合併パターンを勧告し、合併支援プランの作成、市町村間で立ち上げられる各種研究会への支援、合併重点支援地域の指定、合併協議会事務局への職員派遣、さらには、首長や議員に対する水面下の働きまで含めて、確かに、かなり動いたと思います。
特に、我が県では、岡山市の政令指定都市移行に向け、当初推進されていた玉野市とではなく、大きく合併の枠組みが変わり、一方で、道州制、特に、中四国州実現を目指すという、特殊な状況もありました。

それでも、87が22市町村になったお隣の広島県ほどではないですが、1975年の岡山市と藤田村の合併以来、一挙に合併が進みました。 結局は、住民発議による合併協議会の設置という、地方からの動きよりも、お上から圧力をかけられた方が、物事が進むというのは、なんとも悲しいものがあります。

この間、アメと言われる、将来交付税措置される極めて有利な合併特例債が発行できても、例えば、将来大きな財政負担にならないように、新しい施設を造るというよりも、耐震化工事を進めるなど、いずれ、交付税の総枠が減ることは見越して、市町村も動いています。 国からの一方的な、度重なる財政調整のための地方交付税削減という経験から、2014年から、削減が始まるというのは、見越しているということです。

特に、対等合併した地域では、主導権争いがあれば、吸収合併では、周辺地域が軽んじられるという問題は当然あり、公共料金がむしろ上がったり、少子高齢化を伴う人口減、企業誘致・雇用創出、公共交通の確保、文化伝統の共有などなど、問題は、目白押し。

また、県内では、県民局や支局が、二重行政の最たるものであり、河川管理などを除いて、市に権限・財源をどんどん委譲すべきだという声がありました。

いずれにせよ、岡山市においては、政令指定都市になって本当に良かったと、特に合併して頂いた地域の方に言っていただけなければ、合併は成功だったとは言えません。 政令指定都市選出の県議会議員は、最も大切な誇りを失いかけていますが、そう言って頂けるように、きっちり動くこと、それが、政令指定都市移行を推進した者の責任とプライドです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

近藤真彦=『夕焼けの歌』  http://www.youtube.com/watch?v=e6LWpZ-TqpI